革は自分と一体化していく。「困ったときの栃木レザー」と言われる唯一無二の存在へ。

遅澤敦史さま
栃木レザー株式会社代表取締役。大学を卒業後、株式会社リーガルコーポレーションで勤務。店長を経験後、栃木レザー株式会社へ。革本来の風合いを生かすためにベジタブルタンニン鞣しにこだわり続け、世界一の皮革メーカーを目指す。
革が自分のものになっていく感覚が好き
――まずは遅澤様の活動について概要を教えてください。
遅澤さま:栃木レザー株式会社の代表をしております。最近で言うと革を販売するというよりも、「栃木レザーの革を知ってもらう」ための広報的な部分で海外の展示会や国内のイベントに顔を出すようにしています。
――遅澤様の革との出会い、接点はどこにあったのでしょうか。
遅澤さま:元々、大学を卒業したときはファッションが好きだったんです。その延長線上で、革靴を扱うリーガルコーポレーションさんの店舗に、飛び込みで「ここで働けないか」と言って入ったのが始まりです。
アルバイトからいつの間にか正社員にしていただいて、店長までやらせていただきました。リーガルでは12年、そこで「革」というものに出会いました。
その前は、ファッションの方がメインだったのですが、学生の頃の革靴の履き方から、30代にかけてスーツに合わせた履き方まで、いろいろ経験しました。
――そこからどのように栃木レザーさんと関わるようになるのでしょうか。
遅澤さま:リーガルの職場で妻と出会いまして、妻のお父様がこの会社をやっていたんですよ。その時はお互い特に意識せずにいました。
ただ、リーガルでは転勤がどうしてもあるんです。僕も何店舗か回らせていただいたのですが、最初は良くても、だんだん子どもが生まれて家族ができるとなると、さすがに厳しいなと思うようになりました。
妻からすれば僕が好きで入ったリーガルなので、そのことを大きな声では言えなかった。そんな中で、ちょうど妻の父の会社で何名かが同時期に辞めるタイミングがあったようで、その時に「働いてみないか」と声をかけてもらったのがきっかけです。
――すぐに入社されたのですか?
遅澤さま:当時、やっと店長になって2、3年目だったんです。仕事もちょうど面白くなってきた頃だったので、すぐには「行きます」とは答えられませんでした。でも、自分が携わっていた期が終わるまではやらせてほしいと話したら、大変ありがたいことに「全然いいから」と言っていただいて。
リーガルで任期を終えてこちらで働くようになってから合わせると10年ちょっと。リーガルと同じくらいの時間を過ごしています。
――どんな想いで栃木レザーさんの方へ来ましたか?
遅澤さま:販売員には、販売そのものが好きになる人と、ものづくりやデザインの方に興味が向く人がいると思うんですが、僕の場合は「靴のお手入れ」にすごくハマったんです。
革って、磨いていくと変化したり、自分がサボればそのまま傷んだり、その変化が如実に現れる。それがすごく面白かったんです。そこから「もっと革の作りにも興味があるな」と思うようになりました。
それまでは読み物や動画でしか見られなかったんですが、ちょうどそういう話が来たので、生活面でのことと自分の好奇心と、その両方が合致して「やってみよう」と思いました。
――革という素材に魅力を感じる瞬間はどんなときですか?
遅澤さま:やっぱり生きていたものなので、財布でも手袋でもそうですが、人間の肌に触れた時の一瞬の感覚が僕は好きですね。自分で買った革の手帳なんかもそうですが、持った瞬間に、なんとも言えない収まりの良さがあるんです。
――人工物にはない感覚ですよね。
遅澤さま:そうです。特にうちは自然な仕上げもしているので、その感覚が強いですね。靴でも当時そうだったんですが、人の肌に触れた感覚だったり、自分のものになっていく感覚がすごく好きでした。
販売員だった時代は、「靴をよく見せるために履く」という感覚だったんです。シワ一つつかないように履くというテーマを自分の中で持っていたので、サイズもかなりピチピチなんです。でも、それを自分の足型に合わせて変化させていくと、自分の足型になった時にすごく一体感があるんです。
それが「革っていいな」と思った大きなきっかけでした。今も一緒ですね。手帳カバーでもスマホカバーでも、自分の指のところにフィットするようになってきた時に、「一体化されたな」と感じます。
――確かにレザージャケットなんかは自分の体の癖が出たりしますよね。
遅澤さま:アパレル全般のお店ではなく、リーガルという靴に特化したところに最初に就職したことが、今につながっていると思います。そこで「革」というものを深く発見したことが大きかったです。
海外では街全体がファッションになっている

――海外に行かれる機会もありますか?
遅澤さま:ミラノでやっている展示会に行くことが多いです。リネアペッレ(国際皮革製品見本市)というイベントに出展しています。
ヨーロッパはやっぱりファッションの街なので、ちょうどその翌週にファッションウィークがあるんです。その前に、ファッションに関わる素材展が金具も含めて多く開かれるので、そこで出展しています。
――海外では、栃木レザーも含めて日本の革をどう見ていると感じますか?
遅澤さま:一番はやっぱり安心感ですね。これは革以外のジャンルでもそうだと思いますが、「日本のブースで出している、日本のタンナーがやっているものだから、今日注文したものと明日注文したもので同じ色が来るよね」という安心感があります。
イタリアだと「今日の色は綺麗なんだけど、次は綺麗じゃなかったりするんだよね」ということが、お客さんと話しているとやっぱりあるんです。そこは、日本の革に対する安心感としてもってもらっている部分だと思います。
――海外での革、日本の革、文化の違いはありますか?
遅澤さま:ありますね。ヨーロッパもそうですし、つい先週も香港に行ってきたんですが、アジアでもそうですけど、どちらかというと革の立ち位置が「ファッション」なんです。
日本の場合は、学生鞄の文化があるので、なんとなく生活必需品という位置づけが強いです。ファッションとしての革と、生活必需品としての革では、その立ち位置が結構違いますね。
海外の展示会に行くと、見せ方もやっぱり違います。革一枚にしても、向こうはファッションという位置づけなので、よりきらびやかに見せようとしたり、ブースもブティック風にしたりしている。日本は、革本来のもので勝負しようとするから、少しおとなしい感じになる。そこは違いとして出ますね。
――海外だと革がピカピカで高級感がすごいですよね。
遅澤さま:僕も初めてイタリアの展示会に行った時にそれを強く感じました。その前に、日本以外の革を現地で見たのはアメリカだったのですが、アメリカはどちらかというと日本寄りで、道具的な部分が強かったんです。
でもイタリアに行ったら、立ち位置がこんなに違うんだと思いました。
――どちらにも革の良さが出ますね。
遅澤さま:ハイブリッドという言い方が合うか分かりませんが、見せるという面と道具的な面の両立が理想だと思います。
時代の変化とともに、日本もどれだけファッション的な部分に踏み込んでいけるかは、すごく重要だと感じます。
一方で、そういうファッション的な部分に飛び込んでいく時の課題として、この業種は昔からある業者さんが多くて、みんな自分の職人的な部分を守ろうとするんです。ファッションの情報を得ようとしなかったり、得ても「自分はこういうやり方だから」と、こだわりの中に囲われてしまっている。
そこはもったいないなと思います。せっかく技術があって、変化に対応できる知識もあるのに、というのは感じますね。
――そのファッションに踏み込んでいく上で、ご自身に影響を与えたものはありますか。
遅澤さま:やっぱり海外に行った経験ですね。自分の感性の中に、視覚的な情報としてすごく残っています。
特に一番刺激を受けたのは、ヘルシンキの空港を経由してミラノに行く時に、一泊したことがあったんです。その時に街並みをただ散歩していただけなんですが、民家のベランダまでちゃんとデザインされていたりして。
それを見た時に、「人に知ってもらうって、こういう根本的なことなんだな」と思ったんです。僕はそれまで、自分が身につけるものばかりをファッションだと捉えていたんですが、街全体や建物そのものもファッションとして捉えると面白いなと思いました。
――それは面白いですね。日本の地方の街づくりにも通じるものがある気がします。
遅澤さま:そうですね。その後イタリアに行って、そういう視点で見ていくと、ミラノの街も華やかなんだけれど、各ブランドがその街に溶け込みながら、どうアレンジするかをすごく練っているんです。やっぱり全体像なんだな、と感じました。
ファッションに対する捉え方は、すごくいい刺激を受けましたね。行っている時は、飛行機も大嫌いなので苦痛でしかなかったんですが、振り返ると従業員に話したり、こういう機会に話したりする時に、自分はすごく刺激を受けていたんだなと思います。
――そうなると街を歩くだけでも心持ちが変わりますか?
遅澤さま:そうですね。一点集中になっている職人たちをどう取りまとめるか、どう動かしていくかということと、海外で何を感じるかというのは、どこか同じだなとも思います。自分から何かを取りに行こうとする時ほど、実は得られないなと感じるんです。
だったら、本当に自分が感動したものに、ふっと反応した時の方がいい。日本でも海外でも、「あそこに行きたい」「ここに行きたい」とアンテナを張り巡らせて行くよりも、「行かなきゃいけないから行く」くらいの感じで行った時の方が、意外と刺激を受けますね。
何かを得ようとするアンテナを張っている時よりも、人間として身を守ろうとする警戒心のアンテナを張っている時の方が、意外といろんなものが引っかかる気がします。海外では特にそうですね。何か取られたりしないように警戒しているから、あっちもこっちも実はすごく見ているんです。
その方が結果的に発見できることが多いなと思っています。
――意図しているかそうでないかで何が違うのでしょうか?
遅澤さま:多分、人間の欲なんだと思います。せっかく短い期間で行っているから、あれもこれも情報を得ようとしてしまう。でもそうすると、全部が中途半端に終わってしまうんですよね。
一方で、自分を守ろうとしながら「あ、これすごいな」と思って2歩くらい歩いたら、また別のところにもすごいものがある。そういう発見の仕方の方が、自分には合っている気がします。
――感覚が研ぎ澄まされている状態ですね。
遅澤さま:従業員を連れて行くと、万が一のときに守らなきゃいけませんから、ちょっとした人の動きに敏感になったりするんですよね。(笑)そういう神経が尖っているような状態のほうがより刺激を取り入れやすいですね。
継承を意識する

――栃木レザーの概要も、改めて教えていただけますか。
遅澤さま:元々は軍事用の靴のインナー、ライニングから始まった会社です。最初はうさぎや豚など、今の牛ではない革から始まりました。そこから徐々に「なめし」の中でいろいろやって、今の牛の革をなめす仕事になっていきました。
生の牛の皮を、腐らなく使える革に製造していく工場なんですが、当時の創業者が土地も広く持っていたんです。面積的に余裕があったので、昔ながらの製法をやりやすかったんですね。
近代的な効率的にやらないとできないようなスペースではなく、十分な広さがあったので、そういった昔ながらの方法を始めてくれたことが今になって利点になっています。
うちの従業員たちは、その方法しか知らないので、その方法をずっとやり続けたことが、今の認知度につながっている部分があります。
――そのなかでも一番の魅力は何でしょうか?
遅澤さま:他との違いで言うと、一番評価いただいているのが「革の硬さ」です。あまりクネクネしない硬さですね。その硬さが丈夫さにもつながっています。
それを生み出しているのが、、お風呂のような槽を何百個も持っていて、そこに革を漬けて、腐らなくするための液を染み込ませていくやり方です。革に動きを持たせないことで、繊維層を壊さず、丈夫な革ができるんです。
その結果として、警察関係のケースや、工業用のブレーキパッドなど、絶対に壊れてはいけないものにも使われるようになりました。そこが会社の基礎体力をつけてくれた部分ですね。
――逆に課題点や大変だったことはありますか?
遅澤さま:学生鞄が革からナイロンに変わった時は、かなり厳しかったです。そこで一度会社も大きく変わって、社名も昔の「栃木皮革」から「栃木レザー」に変わりました。
そこから、ファッションの方へ移行できないかということで、昔から付き合いのあった問屋さんと協力して、いろいろ模索していきました。
25年くらい前ですが、当時は「カリスマ美容師」という言葉があったんです。美容師さんのハサミを入れるケースはうちの会社の革でいうところの、警察官の拳銃を入れるケースの延長なんです。
丈夫でしっかりしていて、さらに経年変化が楽しめるということで、そこに問屋さんがどんどん売り込んでくれました。美容師さんが注目される時代だったので、その人たちが口コミで「この革すごいんだよ」と言ってくれて、それがいい宣伝になりました。
――そこから徐々にファッション界への認知度が上がったわけですね。
遅澤さま:いろんな話を聞く中でも、やっぱりそこが大きかったなと思います。雑誌を片手に売りに行くより、その話をした方が売れた、ということもよく聞きました。
当時有名店にいた美容師さんたちが、自分で地元に帰って開業しても、まだそのケースを使っていて、それがまた地元で「おしゃれな美容室」の象徴になる。そこからまた興味を持つ人が増えていく。そうやって、革そのものだけでなく、その話ごと経年変化して、宣伝になっていったんです。
もちろん、その時から革の作り方自体は変えていませんが、一方で、表面の見た目としては、今までにない色を出したり、せっかく硬い革を作っているのに、あえてぐにゃぐにゃに柔らかくしたりもしてきました。そういうこともあって、今の状態をキープできていると思いますし、海外の展示会にもつながっていると思います。
――創業1937年という歴史の中で、大切にしてきたものは何でしょうか?
遅澤さま:うちの場合、一番大切にしているのは作り方、なめし方です。ピット槽に入れて作るという方法と、その中に入れる「腐らなくするための液」を絶やさないこと、この2つはずっと継承してきました。
その一方で、それに携わる職人の気概も大切にしてきました。ただ近年は、その気概を個人のものにするだけでなく、どう分配していくか、どう共有していくかというところに意識が変わってきています。
100年続けたいと思うと、一人だけが知っていても続かないので、技術を広げていく必要があります。万が一誰か一人がいなくなっても成り立つような状態にしていかないと、と考えています。
――技術の継承という面ではフルベジタブルタンニンにこだわっていらっしゃいますが、どんなものなのでしょうか?
遅澤さま:言葉の通り、植物のミモザという木の樹液をタンニンとして使っています。それをピット槽に入れて、しっかり時間をかけてなめしていく方法です。
効率的に機械で回したり、叩き込んだりして同じようにタンニンを入れる方法もあります。うちはそうではなく、漬け込むことでじっくり浸透させていく。それを僕は「フルベジタブルタンニン」と呼んでいます。
約1ヶ月間、ピット槽に漬ける工程が一番の肝ですね。特別なことをしているわけではなく、ただ時間をかけて待っているだけなんですが、それがすごく重要です。
さらに、うちは工程をすべて一貫して自社でやっています。全部で20工程くらいあるんですが、それを1社でやることでコントロールができるんです。
日本でもそれをやっている会社は2〜3社あるかないかくらいです。他は工程ごとに外注しているケースが多いですね。
――自社で一貫してやることでのこだわりですね。
遅澤さま:そうですね。最終工程だけやって「メイドイン〇〇」となることもありますが、それだと途中の工程がどうなっているか分からない。それが嫌なんです。
――特に難しい、重要な工程はどこですか?
遅澤さま:乾燥と染色ですね。ここはすごく重要です。
乾燥が終わったかどうかは機械で測るわけではなく、触った感覚や見た目で判断します。水分量によって革の硬さが大きく変わるので、ここは完全に職人の感覚になります。
見た目が全部同じ色になっていても、中まで乾いているかは触らないと分からない。そこがすごく大事です。
――天候をはじめとしたいろんな要素に影響されそうですね。
遅澤さま:気温や湿度、季節によっても変わります。そこが面白さでもあり難しさでもあります。
染色は最終的にスプレーで色を合わせることもありますが、ベースの色がしっかりしていないと仕上がりも良くなりません。この2つの工程が、うちの革の品質を支えているポイントだと思っています。
――職人の技術力こそが“財産”という言葉がありました。職人さんの技術を守り続けるうえで大切にしていることは何でしょうか?
遅澤さま:探求心が大事だと思っています。教えてもらうことを待っているだけではダメで、自分で考えて、ぶつかって、そこから聞くという姿勢が必要です。
そのやり取りの中で、お互いの理解も深まりますし、ズレも修正できる。そこがないと、会社として長く続いていかないと思います。
自分の体の一部のようになっていく

――栃木レザーが掲げる「革本来の風合い」とはどういったものだと考えていますか?
遅澤さま:自分のものになるかどうか、ですね。これは先代の言葉ですが、うちの革は出荷時点で80%の完成度で、残り20%は使う人が完成させるという考え方です。
人工素材は最初から完成されているので、あとは劣化していくだけですが、革は使うことで自分のものになっていく。それが天然素材の良さだと思っています。
長く使って、自分の体の一部のようになっていく。それが革の魅力ですね。
――エイジングの楽しみ方についてはどうでしょうか。
遅澤さま:2通りあると思っています。一つはしっかり手入れして、綺麗に経年変化させる方法。もう一つは、あえて手入れをせずにラフに使って、その中で味を出す方法です。
うちの革はどちらも楽しめるのが特徴です。丁寧に使えば綺麗に、ラフに使えばラフな味が出る。それが面白さですね。
――革は天然素材でもありますが、環境との関係についてどのように考えていますか?
遅澤さま:まず大前提として、天然素材を扱っているので、なるべく人工的なものは使いたくないという考えがあります。
ただ、それ以上に大切にしているのは、地域との共存です。会社の周りに住んでいる方に迷惑をかけないことが大前提です。音や匂い、水の問題など、日常生活に影響が出ないようにする。それが一番大事だと思っています。
その結果として、環境への配慮にもつながっていくと考えています。栃木と名のついた会社である以上、共存するためにやるべきことをやるというのが僕の自然への、サスティナビリティの考えです。
人間も自然の一部なのだから共存できるはず、地域の方々とも共存して一緒に何かをやっていけるだろうという考え方のもと取り組んでいます。
もちろん会社としては、よりナチュラルにという方針のもとで、なるべく人体に害のない薬品を選ぶなどの取り組みもしています。
ただ、考えのベースとしては、共存できる状態を作ること。そのためには、整理整頓や清掃といった基本的なところから始まるんだと思っています。
――少し本題からずれてしまうのですが栃木県は自然が美しく、豊富な土地です。この美しさを守るために必要なことは何だと思いますか?
遅澤さま:栃木市が拠点なのでその視点になりますが、建物を大事にした方がいいなと感じています。
栃木市は「蔵の街」と言われていますし、最近は住宅地も増えていて、東京から1時間で来られる場所なので、移住してくる方も増えています。
ただ、京都や浅草のように景観と合わせた建物の規制があるわけではないので、マンションも自由に建てられるし、色も白や銀色の建物がそのまま建ってしまう。そういったところに少し気遣いがあるだけで、雰囲気や景色は大きく変わると思います。
これはイタリアやヘルシンキの街を見た時にすごく感じたことですね。農作物とか大きな取り組みの前に、ちょっとしたルールや統一感だけで、街の印象は大きく変わるなと思いました。
――同感です。新しいものも取り入れつつ、今あるものを大事にすることも重要です。
遅澤さま:それが地元発信であるといいなと思います。その地域外の企業がやるのではなく、地域から自然にそういう動きが出てくるのが理想ですね。栃木市も若い人たちが増えてきて、そういう動きが少しずつ出てきているように感じます。
テレビで取り上げられる町中華のようなお店も、いい意味でそのままであってほしいなと思いますね。
――もうひとつ、革は動物との関わりもあると思います。この点についてはどのようなお考えをもっていますか?
遅澤さま:まず大前提として、副産物であるということがあります。そしてもう一つは、「命を預かっている」という感覚です。
それをどう土に返していくかというのは、自分の中で常に考えていることですね。
だからこそ、できるだけ人工的な薬品は使いたくない。最終的に土に還ったときに、何十年後でも自然の中で循環していくような形にしたいんです。
土が栄養を持って、また植物が育って、それを動物が食べて、人間が食べる。その循環の一部でありたいという気持ちはあります。
水についても同じで、できればまた自然に戻したい。廃棄物も肥料として使えるようにしたいと考えています。
ただ、そのためには人工的な薬品を減らさないといけないので、そこはバランスを取りながら取り組んでいます。実際に肥料登録もしていますし、できる限り「使ったものを自然に返す」というイメージで仕事をしています。
――これから栃木レザーとして挑戦していきたいことは何でしょうか?
遅澤さま:日本でも世界でも、困ったときの栃木レザーと言われる唯一無二の存在になりたいです。
ふざけているように聞こえるかもしれませんが、本気でそう思っています。先代とも亡くなる前に話をしましたし、絶対に一番になれる、と断言されていました。
実際、展示会などを通じて、その可能性はあると感じています。もちろん、そのためにはブランドとしての見せ方やコラボなども必要だと思っていますが、最終的には信頼される存在になりたいですね。
――遅澤さま、本日はありがとうございました。












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