クリアソン新宿 岡本達也さま

サッカーを通じて世の中に感動を創造し続ける存在でありたい。東京23区から世界一のfootball clubを。

岡本達也さま

岡本達也さま

クリアソン新宿所属。ジュビロ磐田U-18→ジュビロ磐田→順天堂大→水戸ホーリーホック→ガイナーレ鳥取→クリアソン新宿。新宿を本拠地にJリーグ昇格を目指す。ポジションはフォワード。

サッカーがもつ力を信じられているのはジュビロ磐田があったから

――岡本様の活動内容について教えてください。

岡本さま:株式会社Criacao(クリアソン)の社員として働きながら、クリアソンが運営しているJFL所属のクリアソン新宿というサッカーチームで選手をしています。

チームではキャプテンを務めていて、東京都23区から初めてのJリーグクラブ、世界一のクラブを目指して仕事と競技の両方に力を注いでいます。

――サッカーを始めたのはいつからですか?

岡本さま:幼稚園くらいから父親の影響で気づいたら、という感じです。小学校3年生くらいにジュビロのジュニアチームに入って本格的に始めました。

――岡本選手はそこからプロになるまでジュビロの下部組織で育ちました。そのなかでプロを意識したのはいつ頃ですか?

岡本さま:誰しもサッカーをやっていたら一度は夢見ることだと思うのですが、現実的にイメージできるようになったのは高校に上がるタイミングです。

――意外と遅かったのですね?

岡本さま:はい、ジュニアユースまではそこまでトップチームの選手との関わりがありませんでした。でもユースチームに上がると寮にトップチームの選手たちがいたりするんです。

当時で言えば中山雅史選手が印象的でした。「あ、中山いる!」みたいな感じで僕たちの世代ではアイドルでした。

――私も岡本選手と同級生ですから、サッカー好きとしては中山雅史選手は神のような存在です。

岡本さま:そうですよね。こんなに近いところまで自分は来たんだ、という感覚を持つようになって、プロを意識するきっかけになりました。

――やはり地元クラブのジュビロ磐田にルーツがあると思います。今のサッカー人生にどんな影響を与えていますか?

岡本さま:ジュニアからトップチームまで約14年間育ててもらったチームなので、土台はここにあると思います。

僕たちの世代はジュビロ黄金時代だったので、地元の方々がジュビロの勝利ひとつで盛り上がっていたのが印象的でした。

だからこそサッカーやスポーツが地域に与える影響を信じられているのは、この経験があったからだと思っています。

――確かに、あのときのジュビロ磐田はちょっとした社会現象でしたよね。

岡本さま:まさにそうだと思います。クリアソン新宿でもサッカーで新宿を盛り上げる、そして日本を、世界をという想いでやっています。

この根幹はそれを実現したジュビロ磐田を見ていた経験が大きいです。

――トップチーム昇格を経験したときはどんな想いでしたか?

岡本さま:入口に立つことができた、という感覚でした。

あの頃からサッカー選手の成功例として、国内で試合に出て代表に入り、海外に行くというひとつの形が出来上がっていたと思います。自分もその入口まで来たんだと。

だから単純に嬉しかったです。

でも、今振り返るとプロになることがゴールになっていたと思います。その先でどんな選手になりたいとか、競争のなかで勝つために何をしなければいけないとか、そういうビジョンがなかったなと感じています。

――個人的に岡本選手は建設的に物事を考えて実行するイメージがあります。そんな岡本選手でもそこを乗り越えられなかったのは意外です。

岡本さま:プロになるまではそれができていたんだと思います。でもあの強いジュビロ磐田のなかに入って、自分がどう生き残るかまではイメージできていなかったです。

どん底まで落ちたからこそ、自分と向き合わなきゃいけない

試合中の岡本様

――ジュビロ磐田でプロ生活をスタートさせます。どんなプロ生活でしたか?

岡本さま:日本代表選手と助っ人外国人というものすごいメンバーでした。練習から強度も質も高いので変なミスをすれば目立ちます。とにかく緊張感がすごかったです。

だからこそ一流にふれさせてもらった、という感覚でした。これが日本のトップなんだと。今の自分にとって財産ですし自らの基準が上がりました。

一方で、素晴らしい環境ではあったものの、そのなかで自分の取り組みがどうだったのか、という部分もあります。

――それは具体的にどんな部分で感じていますか?

岡本さま:自分の立ち位置を受け入れられないでいたと思います。錚々たるメンバーのなか自分なりに結果を出していましたが、それでも試合に出られませんでした。

ここまでやって出られないなら自分のせいじゃない。

そんな自分本位なところがあったと思います。置かれた状況を認識できなかったからこそ、自分の成長を阻害していたのではと。

――意外な一面ですがそれほどまでにプロという世界が厳しいということですよね。そのあと、順天堂大学に入学されます。他のプロクラブへ行く選択肢もあったと思いますが、なぜ大学という選択をしたのでしょうか?

岡本さま:高卒でプロになって2年でクビになったので、当時は20歳でした。当然今ほど社会のことが見えているわけではありませんから、当時の自分にとっては死に近い感覚だったんです。

君はもう終わりだよ、と言われた気がして。

絶望の淵に立たされましたし、どん底まで落ちたからこそ、自分と向き合わなきゃいけないと思いました。

――自分と向き合う中でどんなことが見えてきましたか?

岡本さま:うまくいかないことを人のせいにしていたし環境のせいにしていました。貴重なプロでの2年間で成長したところを振り返ったときに何も出てこなかったんです。

変えるべきなのは環境ではなく自分自身。

そう考えたときに大学という選択もありなのかも、と思えました。他の人もやっていませんでしたし、勉強も嫌いではなかったので、これならもう一回チャレンジできると思いました。

――ただ、そこからすぐに大学受験をするとなるとかなりタイトですよね?

岡本さま:はい、すぐに母校に行って「2ヶ月後に受験したいんです」と伝えました。それからは3教科の先生のところに通いながら練習もして、という一日でしたね。

――見事合格をして順天堂大学に入学されました。とはいえ4年間は学生。言うならばプロとのギャップやブランクといったものに不安はありませんでしたか?

岡本さま:大学サッカーが始まってからギャップは感じました。でも最初の1年、2年は自分との戦いでした。やっぱりまだプロで通用しなかったときの自分が残っているので・・・。

チームメイトから指摘されることを受け止めきれなかったり、同期がプロの試合に出て代表に入っていくのを横目に見ながらプレーしなきゃいけない。

こんなはずじゃなかったのにな、という感情とせめぎあう日々でした。

――ある意味それは厳しい環境ではあると思うのですが、そのなかで4年間やり遂げられたのはどういったエネルギーがあったのでしょうか?

岡本さま:すごく良かったなと思うのは、プロは当然サッカーを学べる場所でもあります。でも大学では人間としてどうなっていくかを学ぶことができました。

これは恩師の吉村先生のおかげです。最初は当然プロにもう一度行くんだと意気込んでいたので、もっとサッカーを教えてくれと思っていました。

でも、自分を変えたくて来た場所ですから、サッカーの前に人間としてどうあるべきかを学ぶことも重要だと思えたんです。

受け入れられない自分と、受け入れなきゃいけないという自分、二人の自分を戦わせて成功体験を積み重ねていきました。

――どんな成功体験がありましたか?

岡本さま:仲間との信頼関係を構築できました。

もらったフィードバックに対して反論したい気持ちをおさえ、自分なりに落とし込んで実行する。それが良い結果に繋がったり、できなかったことができたり。

そういった積み重ねでチームから信頼してもらえるようになったのではと思っています。もともと良い仲間に恵まれたので、この信頼関係は自分にとって大きかったですね。

――サッカーというスポーツの面白さでもありますよね。

岡本さま:自分が成長するためには一人じゃダメなんだな、と思えました。周りからの協力やアドバイスがあるからこそ、自分にない視点が入ってきて自分の視野を広げていけるんだ、という体験ができました。

――いろんな学びがあったと思いますが、大学で学びたかったこと、この選択をして良かったなと思うところはありますか?

岡本さま:大学サッカーをトップレベルでやりながらも、スポーツ科学や運動生理学を学べたことです。

さらにはサッカー以外のことからの学びを競技だけでなく人生に活かす、という作業ができたのは大学に行ったからこそできたと感じています。

――例えばどんな部分でそう感じましたか?

岡本さま:陸上部と一緒にトレーニングしたときは特に感じました。彼らは自分の体に関する感覚が研ぎ澄まされていて、筋肉の使い方を熟知しています。どう動かしたら早く走れるのか、高く飛べるのか、という感覚ですね。

あとは運動生理学の教授の研究室に入り浸って、いろんな話を聞いてサッカーに活用していました。ゼミ生でもない僕がずっといたので教授からしたら迷惑だったと思います。(笑)

――岡本選手らしいエピソードですね。(笑)でも、それがあったから40歳の今でも第一線で競技ができていると?

岡本さま:はい、サッカーと一見関係なさそうなところからも、自分の領域に引っ張ってきて活かすという作業は大学で身につけることができたと思います。

――大学で得たものがその後のプロ生活と今のキャリアに生きた場面はありますか?

岡本さま:5年くらい前に、競技者として壁にぶちあたっていた時期がありました。というのも、当時35歳、サッカーで言えばベテラン。引退する選手も出てくるタイミングです。

それでも競技を続けたい。そのなかでここからどう成長するかと考えたときに、今までと同じ取り組み方では伸びしろがないと感じていました。

そのときに大学で学んだ人類史が頭をよぎり、もう一度勉強してみたんです。自分の体はどうできていて、ホモサピエンス時代からどう進化してきたのか。

それをきっかけに食事が変わって、トレーニング方法が変わっていって、もう一段階あがれた感覚があります。

――まさにサッカーとは違う別の領域から引っ張ってきて活かすことができた場面ですね。

岡本さま:あとは仕事をしていても感じますね。僕は何でも一人で進められるタイプではないので、いろんな良いものと良いものを結びつけて新しい価値がうまれたりします。

これも大学時代に陸上部とトレーニングしたり、ゼミ生でもない教授の研究室に通ったりした経験が生きていると思います。

ゴールをとる。それしかない。

試合中の岡本さま

――大学生活を経て、J2の水戸へ入団します。2度目のプロ入りですがジュビロ磐田へプロ入りしたときとの違いはありましたか?

岡本さま:当然ジュビロでの経験がありましたから、プロになれた、というよりは勝負をしにきたという姿勢でした。ここで結果を出さなきゃ終わりだぞ、というつもりで行きましたね。

――チームを移るたびに、サッカー観やプレースタイルに変化はありましたか?

岡本さま:大学サッカーの途中で生存戦略的な思考がうまれました。これからプロになって生き残っていくために、やはり数字を出さなきゃいけない。フォワードとして一番わかりやすいゴールをとること。これしかないと思いました。

――それは原点に帰った感覚がありますがどうでしょうか?

岡本さま:本当は昔からそういうタイプだったんだとは思います。このタイミングで改めて、自分はこれでいくんだと覚悟を決めた感覚ですね。

――気持ちを入れ直して入団した水戸ホーリーホックでの時間はどんな時間でしたか?

岡本さま:年間8ゴールとれてキャリアハイも経験しているので、自分の決めた生き方がハマったときでもありました。これでいいんだ、という答え合わせができました。

あとはやはり、3.11の震災も現場で経験したことは大きかったです。3日はライフラインがとまってしまってサッカーやってていいのかな…?と考える日もありました。

――当然ですがあのときは日本中が混乱していて、いろんなことが変わりましたよね。

岡本さま:それでもJリーグ自体は再開して、水戸だけじゃなくまわりの街もボロボロの状態だったのですが、何人かのお客さんが応援に来てくれました。

僕はその試合で同点ゴールを決めて、チームもアディショナルタイムに逆転して劇的勝利をおさめたのですが、お客さんが涙を流して喜んでくれたんです。

自分のゴールと、自分たちの勝利を泣いて喜んで、「これで頑張って生きていける」と言って声援をくれたあのシーンは今でも鮮明に覚えています。

――水戸では2年間過ごしたと思うのですが、本当に濃厚な2年間でしたね。

岡本さま:そう思います。そこでもジュビロで経験したサッカーやスポーツが地域に力を与えられるんだという経験をしました。

――プロ生活から得たものがたくさんあると思います。特に偉大な選手と一緒にプレーしたなかでそういった選手からの印象的な言葉はありますか?

岡本さま:ジュビロ磐田で契約満了になったとき、その後日本代表になる前田遼一さんにかけてもらった言葉ですね。

人間万事塞翁が馬だ。達也、大丈夫だ。

とメールをくれました。前田さんとは2年間、ほぼ毎日一緒にご飯を食べて温泉にも行って、身近な兄貴のような存在でした。そんな前田さんがこういう言葉をかけてくれたことが嬉しかったですね。

だからこそ、今振り返ってみると20歳のあのタイミングでジュビロと契約満了になって自分の人生がおもしろくなったなと感じます。

――偉大な選手からの言葉の力は大きかったと思います。しかし、契約満了という厳しい経験を「おもしろい」とまで捉えられたのはご自身のどういった部分が大きかったのでしょうか?

岡本さま:それは大学の恩師の言葉が大きかったと思います。

「4年後にプロになるかどうかよりも、4年間大学にいたことで成長したと思えることのほうが何百倍も大事だ。」

という言葉をかけていただきました。当時はプロしか見えていなかったのですぐに理解はできなかったのですが、大学サッカーをやっていくなかで人間の器が大きくなったときに、競技の成績が出てくることを経験しました。

そうなってやっと、そういう意味だったのか、と気付くことができましたね。

――それは今のキャリアにも繋がっていそうですね?

岡本さま:もちろんです。今はサッカーもやって仕事もしています。その根幹は岡本達也という人間がどっちもやっているので、ここの器が大きくなっていると出せる結果も大きくなっていくなと感じています。

そしてもう一つあって、「サッカーは人間関係のスポーツだ。」という言葉です。目に見えない信頼やお互いの理解度の総和がピッチに現れる、と。

アスリートである以上、自分の能力をあげることからは逃れられないのですが、それだけではない部分の面白さに気付くことができました。

プロを引退してサッカーから離れようとしていたのですが、そういった信頼や人との結束を大事にしているクリアソンだからこそ、もう一度サッカーに導いてもらえたと思っています。

――恩師の言葉がサッカーとの繋がりをより深くしたという感じでしょうか?

岡本さま:はい、こういう信頼や人との結束はサッカーだけじゃなく仕事でも何でもそうだと思うんです。サッカーがそういうスポーツだからこそ、世の中に伝えられることがいっぱいあるんだと思います。

全く別物であればサッカーだけでなくスポーツがこれだけ世界を魅了することはありません。人が人に与える力があるからこそ、サッカーの魅力や価値がそこにはあります。

全力で勝利をつかみに行く姿を見せる

試合中の岡本さま

――ここからはクリアソン新宿についても詳しく聞いていきたいと思います。まずクリアソン新宿について教えてください。

岡本さま:JリーグはJ1~J3の3部構成になっていて、その下にJFLというリーグがあります。クリアソン新宿はそのJFLに所属するチームです。

ここから23区内初のJリーグ入りを目指して活動しています。

――なぜ今までこの都心にJリーグチームがなかったのでしょうか?

岡本さま:都心だからこその難しさがあります。練習場もそうですしスタジアムもそうです。どちらもある程度の広さを要するので、なかなか23区内では難しいところがあります。

――クリアソン新宿の魅力はどんなところにありますか?

岡本さま:ひとつは新宿の街と密接に結びついているところだと思います。新宿は多様性の街で、エリアによって文化も違えば国籍も違います。

これがサッカーっぽくていいなと思っています。

――というと、どんな部分でしょうか?

岡本さま:サッカーにもいろんな人がいますよね。体が大きい人もいれば小さい人もいる。足が速いとかテクニックがあるとか、外国人選手もいます。それが新宿の多様性、多国籍で異文化が交わっている部分と繋がるなと思いました。

――確かにそうですね。逆にクリアソン新宿としてどんな課題感をもっていますか?

岡本さま:多様ゆえの課題があることも事実です。外国人居住者の増加や高齢の独居が多いこと、子どもの遊ぶ場所が少ないなど、場所や世代ごとの課題が多いです。

こういった課題をクリアソン新宿がスポーツやサッカーを通してどう解決していけるのか、という点を期待してもらっていて新宿区と包括連帯協定を結んでいます。

サッカーだけでなく、そのサッカーで新宿という街をもっと良くしていく、という視点でも楽しんでもらえると思います。

――新宿の街づくりという点でも楽しみです。サッカーチームとしてはどんなチームですか?

岡本さま:クリアソンの理念や活動に共感してくれた選手が集まっているので、一体感という面では他のチームと比較しても試合に出ているのではないかと思います。

――私もクリアソン新宿の試合を何試合か観戦しました。一体感、チームの成熟度で言うとずば抜けていると言っていいと思います。

岡本さま:そういうチームが勝つんだ、ということをあとは結果で示したいです。

――「サッカーを通じて世の中に感動を創造し続ける存在でありたい」を掲げています。クリアソン新宿としてどのようなサッカーを掲げていますか?

岡本さま:全員が自分の力をチームのために発揮することだと思います。力のある人が自分のためだけでなく仲間のために闘う、走る、声を出すという姿勢。

そういったことが勝利に繋がれば一番良いのですが、そうでなかったとしてもその姿勢を示せたときに、伝わるものがあるはずだと信じています。

試合の中で劣勢のときにどう取り組んでいるのか、どんな声を出しているのか、磨かれた人間たちが全力で勝利をつかみに行く姿を見せられたらと思っています。

――選手として、この理念を自分なりにどう体現しようとしていますか?

岡本さま:チームでは最年長なので、自分自身が体現することを意識しています。

ある程度の年齢になると許されてしまう部分が出てくると思うんです。キャプテンだから、ベテランだから、という部分を作ってしまったら終わりだと思っています。

プレイヤーとしてチームの力になっているのか、まだまだ成長しようとしているのか、全力でやりきっているのか、当たり前のことですがそういうことから一瞬でも逃げたらダメだぞと自分に鞭を打っています。

――岡本選手らしいですね。プレイヤーでありながらチーム全体を一番に考えるベテラン選手は貴重な存在です。

岡本さま:ここからJリーグクラブになって、世界一のFootball Clubを目指すことは簡単なことではないですし、成長していく組織の成長するエッセンスに自分自身がなっているのかを問い続けています。

ピッチに立つ機会が少なくなっていることは悔しくて苦しいですが「それでも俺はやるんだ」という姿勢を示していきたいですね。

――今年で40歳ですが、まだまだ選手としての灯火が熱くて個人的に嬉しいです。

岡本さま:プレイヤーとしてやると決めたからには当然試合に出たいです。そしてクリアソン新宿という自分が愛しているクラブを「俺のゴールで勝たせた」と言いたいですね。

――改めて生粋のフォワードだなと感じる言葉でした。同時に「世界一のFootball Club」という言葉がでましたが、チームとしてどう解釈していますか?

岡本さま:分かりやすいところで言えば、世界一のクラブを決めるクラブワールドカップで優勝する、というところだと思います。

そのときに新宿の街が世界一幸せになっていたら嬉しいです。

そのためにはサッカーで勝つだけでは実現できないと思っています。新宿の方々との繋がりや取り組みを含めて、全部がつながったときにそうなれると信じています。

――私自身もファンの一員としてその瞬間を楽しみにしています。

岡本さま:クリアソンが国立で試合をしたら新宿のいろんな人たちが店を閉めて来てくれて、終わったら店を開けて勝利を喜び合うような文化が生まれたら嬉しいですね。

街としては既に楽しい街になっていると思うので、そこにクリアソンやスポーツがあったから、今までになかった繋がりがうまれてもっと魅力的な街になったらと思っています。

――これからのキャリアで挑戦していきたいことを教えてください。

岡本さま:プレイヤーとしてはチームの力になれるように、ギリギリまで身を粉にしてやり遂げたいと思っています。

個人としては自分の人生に常にワクワクしていたいので、そのために自分の枠をちょっとずつはみ出していくような人になりたいです。

そうすることで今までしたことのなかった体験や、景色を見ることで、また新しい世界が見えてくるのではと思っています。

もちろんクリアソン新宿で世界一のFootball Clubになるための挑戦は続けていきたいです。

――最後に、クリアソン新宿を応援する人たちへメッセージをお願いします。

岡本さま:今まで応援してくださっていた方は、まさか河川敷で試合をしていたチームが国立競技場で試合をするなんて想像もしていなかったと思います。

これからも皆さんと一緒に想像もできない未来をつくっていけたらと思っているので、いいときも悪いときも一緒に歩んでくれると嬉しいなと思っています。

――岡本選手、本日はありがとうございました。

w05.doru.jp : w03.doru.jp